可部の歴史フォーラム第二弾−高松山登山−
■何と80人もの参加で大成功■

■6月10日、この日は大文字祭りのフォーラムを受け高松山の登山案内をしました。■

 
この登山案内のメインコースは桐原コースです。何と言っても死道を地図に落し復活させようと
言うのですから力も入ります。
 申し込み人数、当初は27名でした。しかし、前日、中国新聞で紹介され、結局の所
80人を超える人達で登る事となりました。
 
 ● 9:30 〜 下町屋バス停集合。
       色とりどりの登山服を着た人が下町屋バス停にどんどんと下りてくる。
       いったい、今日は何人に膨れあがるのだろう・ ・ ・ 
       その対応に奔走してくださったのが和田木さん。そして重たいカメラを持   
       って、その動向を撮影し続けてくださった新澤夫妻。ありがとうございま 
       した。
● 9:35 〜 全員集合 5.6人づつの班編成、(安全確保のため)
● 9:45 〜 開会挨拶 注意事項 
         トイレの案内 (近くのガソリンスタンドにお願い)
● 10:10〜 いよいよスタート!! 全員、桐原ルートより頂上目指す
         先頭は梶川隊長、最後尾は田中(加)

     

●      〜 頂上到着 ホット一息
         てんでに弁当を広げると高松山の頂上は人の花が咲いたようでした。

   



 当日、急に膨れあがったメンバー。よく無事に下山できたものだと感謝で手を合わすばかりです。
 山歩きが好きな私としては、少々、無謀だったという感は残っていますが、
その大胆さがフォーラムを大盛況に導き、高松山のすばらしさを多くの人達と共有できたのだと思っています。

   


 何より嬉しいのは死道であった登山道が80人を超える多くの人達の踏み跡によって
しっかりとしたルートが出来た事です。そして、当日、快くグループリーダーを引きうけて下さった方々、
受付やビデオを担当してくださった方々、皆さんのお陰で、皆、怪我もなく無事、
高松山登山を終えることが出来ました。本当にありがとうございました。



〔この木なんの木? 作成で
527日、事務局新澤邸の朝はけたたましい電話の呼出し音で明けました。当日の新聞に“可部カラスの会が冊子”の
記事を見た読者が一斉に申込んで来られたんです。朝食の時間もどこへやら。受け付け、事務局の場所案内、訪問者の
応対などに追われて奥さんは電話の傍を離れるわけにもゆきません。高松山への道のり、トイレの有無まで案内する状態
2日に亘って続き、申込み数は予定を大きく上回る115部でした。
次いで冊子印刷担当の和田木さん、新沢さんから「こっちは電話対応で印刷が手につかんけえ、両面印刷の部分はあんた方
でやってやあ」の依頼に「よっしゃ、そいじゃあたちまち
50部くらいくらい印刷しといて、後は適当なときにやろう。」軽い気持ち
で要請に応じたものの、
22ページの印刷に20分もかかるし、インクの消耗はすごく早いときたもんで…、一日のできあがりが
30冊くらいでした。
最後の40冊分を新澤邸へ届けたのは67日だったように記憶しています


1回目の郵送を済ませたのが62日、今度は賛辞の返信と電話が続々と届きます。しかも我々が予想もしなかったジャンル
の方たち(日本ナショナルトラスト協会、可部在住の樹木医、日本自然保護協会、日本鳥類保護連盟、広島県森林インストラ
クターの各メンバーほか)から暖かいメッセージが寄せられ、すごい感動を覚えました。

 寄せられた手紙の中から応援メッセージを紹介しましょう(原文のまま)

最近山歩きに興味を持ち始めました。山の樹々や草花について少し知りたいと思っていた所中国新聞で冊子の記事を読み是非その本を片手に上ってみたいと思いました。
高松山が一層みじかに感じられます。
いつか高松山での勉強会をもっていただければと思っています。貴会の活躍を祈っています。
この資料を持って高松山に又登って見たいと思います。ボランティア活動、頭が下がる思いがいたします。これからもますますのご活躍をお祈りいたしております。
12年間ベッド生活を余儀なくされている義母の介護、近場の山歩きに心癒されます。時間の取れる時、樹木を楽しみ乍ら登って参ります。
元気に成ったら高松山に登ってみたいと思います。
高松山だけでなく、可部の町並みもじっくり見て歩きたいと願っています。
未だ高松山に登った事がなく、私の趣味として、山城と植物観察に興味を持っていますので是非登ってみたいと思っております。

     

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