大石君くんの初夢2006

 大石君36才、東京の大学を卒業後、東京で就職、
28才で地元の同級生と結婚、
昨年地元にマイホームを購入。1男1女、最近、ちょっと太りぎみ。
(誰だ、昔からって言ってるのは)

 大石君の自宅は地元K知空港から20分ほどのところにある、
農地付き住宅、今朝もハウスで採れたメロンを職場の同僚にお土産として持参する。
職場は、品川のオフィスビル、週に1回の会社出勤である。

 8時のフライトで9時には羽田着、品川のオフィスに9時半に到着、
自宅から2時間、首都圏では普通の通勤時間、それも1週間に1度だけ、
快適な空の旅である。

K空港〜羽田路線は、同道路線として、小笠原等の離島路線とともに、
羽田に新設されたE滑走路、道営ターミナルを利用するため、混雑も少なく、
もちろん同道民割引で格安。

 同道って? そうなんです。200○年、K県と東京都が合併して、東
京道が発足しているのです。
国は、東京単独での道州制移行を考えていましたが、
東京都民とK県民による思わぬ合併推進運動に、遠隔合併を認めました。
石原前都知事や、H本前県知事がこの運動に加わったことも大きいようですが、
都民県民の市民パワーが一番の原動力でした。

 K県は、四国道や中国四国道の検討を進めていましたが、
T県が早々と関西道への参加を決定し(フィクションです。すみません)、
四国の一本化が不可能となりました。
もともと独立性の高いK県、四国ならまだしも、中国との一体化について、
県民の理解は高まりません。
岡山や広島へ行く時間と、東京へ行く時間は、それほど違いません。
大学や就職も、圧倒的に東京が多いK県です。
とうとう合併推進協議会への参加を、議会が否決してしまいました。

 行く当ての無くなったK県を救ったのが、
K県出身の学生およびOBで組織する『東京いごっそう倶楽部』。
この組織の代表を務めるのが、この物語の主役大石くん、その人です。

 以前から、東京とK県の掛け橋として、人や物の交流等いろいろな活動を続け、
東京・K県合併については、
2005年の『東京いごっそう倶楽部』設立時に提言していました。

 四国道破綻を受け、倶楽部の活動は東京都内、
K県内で草の根活動から出発しましたが、両前知事の参加を契機として、爆発的に拡大し、
1年足らずで、合併調印、東京道国会承認となりました。

 東京・K県合併による東京道の発足に伴い、
空路の制度整備をはじめ、人・物・金・情報等々の活発な相互交流のため、
各種の制度、政策が導入された結果、
大石君はK県に住み東京に通勤する21世紀型ライフプランをいち早く実現できたのです。

ウッドデッキで、奥さんが食事の準備をしています。
もう少し振り返ってくれれば、顔がわかるのですが・・。
けたたましい目覚し時計、今日も朝からバイトです。
もう少しで将来の伴侶の顔が見えたのに・・。
ちよっぴり残念だけど『東京都との合併』もいいかなぁ、
と思いつつ、当面は生活費を稼ぐバイトと卒論に向けて、
がんばるしかない大石くんでした。

正夢もありかな