公務員寺本くんの暮らし

元H県の県職員だった寺本君は,道州制の導入にあたって,
州に行くか,基礎自治体に行くかという人生の選択を迫られた。

 彼が選んだのは,出身地の市の職員。県の仕事は,
そのほとんどが基礎自治体,市の仕事となった。
県の仕事が幾分と,国の仕事が大幅にやってきた州について,
あまり魅力を感じなかったのがその理由である。

地方公務員として生きてきた人生,地域づくりをライフワークとしてきた。
彼の趣味は30代から関わっている住民のまちづくり,
仕事も農林水産業の振興や農産漁村の整備,都市農村交流等々,
24時間地域づくりが彼のモットー。

そんな彼に与えられた選択肢が,州に行って州レベルの産業振興を行うか,
市へ行って住民の顔の見える産業振興をするかであった。
もちろん後者を選んだ。
県職員時代,いろいろな市への産業施策を行っていたので,各方面からオファーがあったが
,隣の県の,自分の出身地の市を選んだ。

高速バスで1時間20分の通勤。少し通勤時間は長くなった。
ただ実家からは15分である。週に2日は実家に泊まり,
年老いた一人暮らしの母親の手料理に舌鼓をうつ。

土日は自宅のある,州都郊外の古い町並みの残る街の,
市民のまちづくりに,女房と一緒に参加している。
自宅には仕事が楽しくて独身の娘が同居,これが唯一の悩みと言っているが,
どうやら手放したくないらしい。

さて,彼の職場を見てみよう。
彼の勤務する市は中国山地の分水界から日本海までの人口10万弱の地方市。
以前は、底引き網の水産業や窯業,
狭小な農地での零細農業等を産業とする3市
14町村、
全てが過疎の町による合併であった。
実際の基幹産業が公共工事であったことは言うまでもない。

職員も大幅に縮減し、歳出の削減については血のにじむ努力をした。
もちろん合併建設計画も早々に見直しし、
特例債の利用も最小限度にとどめた。
しかし、年々削減される地方交付税のため、
行政サービスにも手をつけざるを得なかった。

必要性の薄い行政サービスなど残ってはいなかった。
そこで市長は、市民と、とことん議論していく道を選んだ。
市の財政状況、職員の給与まで全てさらけ出し、
全ての業務の洗い出し、見直しを市民と行った。

議員にも理解を求めた。市民と行政と議会が、
初めて気持ちをひとつにして取り組んだ。

キーワードは見つかった。『一緒に汗をかくこと。
一緒に動くこと』。それしか無かった。

 3者による検討は、3者による行動へ進んでいった。
一番コストダウンができるのが『過疎バスの廃止』だった。
乗客が少なく、ほとんど補助金だけで走っているバスを廃止し、
市民が市民の生活交通を確保しあうことにより、
相当額の支出が抑えられることがわかった。ただ、そこに、法律の壁があった。

 市長は奔走した。特区申請もしたが理想を追いすぎて、
門前払いとなった。それでも市民たちは動いた。
ほとんど違法に近かった,交通弱者である高齢者は手を合わせて感謝し
地域の気持ちはひとつになっていった。

 さまざまな分野で,市民の活動が活発となり,
隣県で暮らす寺本にも幾度となく帰って来いメールがとどき,
時には道路の草刈に,時には小学校での環境学習に,
市民活動の経歴もあいまって講演も数多くこなしていった。

 そしてやってきたのが道州制だった。
運輸行政も国の関与を大幅に縮小し,
根幹は国法,具体は道条例という国と地方の分担が行われることとなり,
市民がやってきた生活交通確保の取り組みも合法となり,
さらには事故の等のリスクについてもきちんとフォローができるシステムが完成した,
道内外を含め各方面からの視察に,
寂れた温泉がにぎわうという副産物までもたらしたのである。

 歳出の削減は市民ぐるみで進み,相当の効果をもらしたが,
道州制の導入にあたっては,従来の交付税の仕組みも見直され,
歳入の確保の努力も求められることとなった。

 税収増のためには,産業振興であるが,小規模農林水産業,
小規模製造業だけの産業体系の町の法人税をどうやって増やすのか,
今までは100パーセント『不可能』と言われてきた世界である。

 何をかくそう,これが寺本の仕事なのである。

まずは,産業資源の徹底的見直しから始めた。
縦割りの垣根もとっぱらった。
農協も漁協も森林組合も,商工会も建設業協会も合併させた。
もちろん道条例を見直しさせての結果である。
この垣根を取っ払うだけでも相当の効果があった。
この中から,〇〇市ブランドが次々と生まれ始めた。

 もちろん,農林水産業も大胆な改革を進めた。
州都に本社を置く中堅スーパーと総括提携を行い,
生産から販売に至るまで,全ての工程をスーパーのノウハウで管理し,
安全で安心なブランド食品を提供するシステムが完成した。

 スーパー資本の農場では,
早起きの高齢者の皆さんによる夜明け摘みいちごが好評で,
毎朝州都から通勤する寺本は,毎朝すれ違ういちごトラックの運転手と
顔なじみとなっている。

 そして,もうひとつ,なんと小さな漁協が外貨を稼ぎだしたのである。
規制緩和で,小さな漁協でも,
新たに創設された道の異動CIQシステムにより輸出入が可能となった。

 隣国からの生鮮品の輸入窓口ともなり,経済成長した隣国からは,
この町の静かな温泉宿への来訪も増加している。
もちろん関税優遇も道条例で認めさせたのは寺本たちのチームであった。

 この町は,市民が社会を支え,行政が経済を支えるという,
一昔前とはまるっきり逆の姿が展開されている。
市民と行政のありかですら,皆で考え,皆で決めることができる。

それが市民による市民のための道州制であることを,
この町の人はみんな知っている。

おわり