ころげ観音
【下野岩太先生著 可部のまちかど29 】
「ころげ観音」とは珍しい名である。一見弱々しいイメージをもつが、それはあやまり、巨大な石の観音である。
五十四号線の可部の中央から西へ延びる可部−宇津線を、太田川に沿うて5kmほど上る。
途中に七月号にのせた「抱岩地蔵」がある。
さらに柳瀬キャンプ場を抜けて進むと、左下に断崖があり、太田川が迫る。
そこから道路は大きく逆「く」の字に左へ曲がる。
そのもっとも深い所から小溝に沿うて小道を40mほど上った所に地蔵はある。地表に出ている部分は幅約4m、横2mある。
今からおよそ百五十六年ほど前の記疹に「去る年の大地震によって転け落ちた観音。弘法大師の御作」とある。
この記録からみると、観音石は現在の場所の北にある螺山 (にじやま)の中腹あたりに安置してあったのが
、転び落ちて現在地に留まったのであろう。
去る昭和四十四年秋、可部郷土史研究会の銭広只夫・木村博・小田一義ら十人余りが中心になって、詳細な調査を試みた。
その際、右側埋もれた部分から、高さ60p、幅40pの観音像を確認し話題となった。
今から二十六年ほど前、祇園町西原のM氏が、この観音堂の下まで車で来たところ、急に車を進めるのがいやになった。
その時、同時に車も止まった。仕方なくそこの谷の道を上ったところ、大きな岩が目に入った。
その瞬間。観音さまが頭にひらめいた。放っておいてはもったいない。
伺を建ててお祭りをしたい、と今井田の人たちに頼み、そこで現在の桐が出来たという。
「ころげ観音調査報告」。毎年三月十八日、M氏と共に今井田地区の人たちによって祭りが続けられている。
(この記事で現地参拝の方は、夏期は雑草が生い茂り、蜂、まむしなどのため危険につき注意)