■なつかしい可部の町写真展■



■昔,可部の人はどがいな暮らしをしよっちゃんたんか,みんなと一緒にみたんじゃあ■

●昔のまちから未来が見える●
  概  要
 可部地区を対象に、地域住民にまちを再発見していただこうと、懐かしい昔のまちや暮らしの
様子がわかる写真と、現在の写真を対比するなど工夫を凝らした写真展を開催する。
第1回目の写真展は、5月に写真の展示と同時に"まちを語る"シンポを合わせて実施する。
その後も銀行、郵便局、公民館等での巡回展や、昔の写真を撮った場所での展示及び
根の谷川沿いを歩きながら鑑賞できる屋外展など、息長く実施する。
 内  容  
地域住民に、昔の写真にコメントを添えて提出していただくよう依頼し、その写真を
4ツ切り程度に拡大し、コメントや現状写真をそえてパネルを作成する。

 いささか長いイントロになりましたが、これで「カラスの会」が写真展を開く骨子ができました。
そして1997年12月16日の定例会では"実施要領"、"写真募集のチラシ作成"を確認。開催時期は、
高松山の大文字祭りに合わせて5月最終土・日とする。場所は大文字祭りを仕切る旧川原集落の
付近(可部学区集会所)とすることを決めました。
さらに明けて1月の定例会では検討項目別に担当者も決めて、具体的な行動に入って行きます。
以下、担当項目別に経過を報告します。




■やってみて考えよういよいよ行動開始■
  企画、総括
 考えておいて、後は忙しい部門の応援です。
  広報、渉外
  写真募集の案内
 担当が最初に手がけたのは、写真の募集です。1997年12月16日定例会でチラシの内容を
提案、明けて1月20日の定例会において正式スタートとなりました。周知の方法は町内会に対する
回覧の依頼と、各企業に対する協賛の依頼(特に可部町商工会)を行うことでした。
この段階でマスコミへも協力の依頼を行い、中国新聞が写真募集の内容を掲載してくれました。
(マスコミの協力体制は別項で報告)

  写真展開催の案内
 次いで"写真展開催"の案内チラシを作成しましたが、ここでは応募された写真の中から
選んだものを掲載したため、町内の話題に上がるようになりました。


                    

  会場案内の看板作成
開催場所を案内する看板(CADで文字枠を作成、メンバーが色づけ)を10枚作成し、
開催前日会場周辺に貼り付けました。
ところが夜に入って突然の雨。看板を濡らすまいとメンバーが駆けつける一幕もありました。

  収集・整理
 この部門ではパソコン(MOドライブ)が威力を発揮しました。
まずは、収集。写真募集の回覧や新聞記事を目にした人たちから「うちにも写真はあるが、
役に立つんじゃろうか」という問い合わせが来るようになりました。手すきの人が訪問して
写真を拝借し、パソコンでデータベースを作ることの了解も得ました。
写真はジャンル別コードを付してパソコンへ投入、A4版に印刷です。並行して写真の選考と、
提供された写真のリスト作成も急ピッチで進みます。さらに展示用タイトル、撮影時期、
提供者等を貼付します。
もう一つの難関は、撮影当時と現在との対比写真の撮影です。
「すみません。この写真の撮影場所が……」
「ヘェ、あそこの家ですが、こりゃぁ古い写真ですのぉ」
「写真展やりますけぇ見に来てくださいや」
やっと場所を確認して到着してみたものの、30年以上時間が経過していれば、
山へ上がろうにも木が生い茂って目的場所の確認ができず、山の中を右往左往、
へとへとになるケースが続出しました。
こうしたメンバーの難行苦行の結果、提供された写真総数1300点、そのうち400点を学区集会所と
大文字祭りの祇園神社までぎっしり貼り付けて、ようやく「なつかしい可部のまち写真展」開催の
運びとなりました。
なんとはいりました、入りました。集会所開設以来の入場者でした。


  ■集会所開設以来の大賑わい■

  1日目 9:00〜21:00  300名
  2日目 9:00〜16:30  400名


                  

懐かしさのあまり、写真に食い入るような眼、眼、眼。殆どの人が30分以上の時間をかけて
見て行かれました。
「すごいのオ、あんたらぁこれだけの写真をよぉ集めんさったのぉ。」
「ここにうちの息子が写っとります、まぁうれしい。」
「明治時代の葬式言うたらすごかったんじゃのォ、家を大事にしとったんでぇ。
今ごろは簡単に済ませてしまうがのぉ。」
会場で友達と出会って喜びの声を上げる風景もたびたび見受けられました。

  ■うれしかった地元の協力■

 これだけのイベントを実施するには何といっても地元の人たちの協力がなければできません。
その皆さんの協力ぶりを紹介します。

  写真提供
 カラスの呼びかけに対して、地元の人はすばやい反応を示しました。
「こんなもんでお役に立つじゃろうか」
「写真があんまり古すぎて、どこで写したんか、ようわからん」
などなどの話とともに写真は続々と集まりました。当初一抹の不安を抱きつつのスタートでしたが、
心配は杞憂に終わりました。
 中でも圧巻は可部三丁目藤井さん提供の映写フィルム、大正末期〜昭和初期にかけて
個人で撮影された可部周辺の景観、家族、イベントの様子が克明に描かれた映像が
輸入された劇画とともに約150巻提供されました。
自分達の力ではフィルムの再現は不可能です。早速NHKに相談したところ、
ビデオ再生に協力していただくことができました。
展示会場ではじめて目にした"太田川鉄橋を渡る軽便鉄道"の勇姿にどよめきの声があがりました。


               
 
  屋外展示場所の提供
 400点以上の写真を展示するには、集会所だけでは無理ですが、NTTの外壁、
そして大文字祭りを仕切る地元の皆さんの協力で集会所〜祇園神社まで、
すっかり貼ることができたのです。


  ■そしてマスコミも■
 初めてのカラスのイベントに、さらに強力だったのがマスコミの協力でした。それもご披露しておきます。

中国新聞
 2月12日朝刊
 「可部ってどんな町」
 「昭和30年代までの写真募集」の記事を
掲載。
4月18日朝刊
 「可部の舟入堀写真にくっきり」
 大きな写真入りの記事を掲載。
5月30日朝刊
 「懐かしのモノクロの可部きょうから写
真展」
 と題して準備中の写真と開催の記事を掲載。
6月15日夕刊
 「懐かしき可部 息遣いも活写 市民グループの写真展から」
 と題して紙面を大きく割いて写真掲載。
6月25日朝刊
 「たうんタウン ひとこと欄」
 に写真展に対するカラスの会代表の感想を掲載。


                 

ふれあいチャンネル(CATV)
5月24日
 写真展準備に余念のないメンバーの動きを紹介。

広島ホームテレビ(市広報番組)
6月13日
写真展当日の飾りつけ、賑わう会場の模様、終了後の代表の動きを克明に描写。

NHKテレビ
5月26日(広島ローカル番組 おこのみワイド)
 70年以上前に撮影された映写フィルムをビデオに再生して放映。
 なお、古いフィルム再生の技術は、わが国に2社しか持っていないといわれ、
NHKの好意(経費は勿論)で再生してもらいました。

  
■写真展のもたらしたもの■
  広島市公文書館に保存
 広島市はご存知のとおり、昭和20年8月6日に見舞われた原爆のせいで貴重な資料の殆どを
焼失したものですから、写真展の成果を耳にした広島市公文書館から「ぜひとも写真を見せてほしい。
そしてそれを公文書館に保存したい。」
との電話がありました。
6月8日、全数の写真を点検のうえ、要保存の写真については提供者の了解を得て複写、
保存されました。

  福山自動車時計博物館に展示
 「わが国に初めてお目見えしたバスの写真を当館にも飾りたい。」と集会所の近所の人から
申し出があったのは、展示会終了後、集会所での打ち上げの最中でした。
娘さんが博物館に勤務しており、写真展を見て感激されたのでした。早速広島市公文書館を通して
写真の所有者へ連絡、了解が得られて写真は福山自動車時計博物館でお目見えの運びとなりました。

  

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