■出前授業■

  「昔の可部はどんな産業が盛んだったの?」亀山南小学校6年生は、
地域の人たちとの係わり合いを続けています。
 2月6日「可部カラスの会」は学校からの依頼に応じての出前授業です。
訪問したのは新澤ご夫妻と和田木さんの3人。
 「可部の町はね、広島よりも早くから開けた町で……」と子ども達に語りかける
新澤先生、写真やVTRをふんだんに使って授業が始まります。
 ・可部の町は太田川の水を利用した運輸、交通が発達したこと
 ・道路を活用して山陰地方(出雲、石見地方)や県北の荷物集散地として発展を
  遂げたこと
 を主体に話は進みますが、なんと言っても最大の効果を発揮したのは「視覚」に
訴える手法でした。
 陸上運輸のポイント太田川橋(初代、二代の並んだ)の写真、見渡す限り田んぼばかりの
亀山地区、八木峠では列車が登りきれず、乗客が降りて後押ししたと言ういわくつきの
軽便鉄道、わが国で最初に横川・可部間を営業運転したバス、
 191号線で自ら鋤を背負って牛を追う農民の写真等々、画面が変わるたびに
会場は歓声に包まれました。
 「古い写真を懐かしく、珍しさで見ることなく、古い可部があってこそ現在の可部が
存在すること、そしてこれからの可部をもっと住みやすい町にするために
力を合わせましょう」。新澤先生の話は続きます。

■矢継ぎ早の質問に講師も立ち往生■

 子ども達からの質問に答える時間になると、さすがに時代を反映して、
乗り物に集中しました。
 「日本で最初のバス時速何キロくらいで走ったん?」
 「何人乗せて走ったの?」
 「タイヤはパンクしなかったの?」などなど…。
 先生たちも付け刃の勉強では追いつかず、回答できない質問にとうとうギブアップ、
「宿題にさせてちょうだ〜い」という羽目に。
 更に、質問は昔の農機具の使い方とか、虹山団地のできる前はどんなところだったの?
などの質問も出てきて、
 愉快な愉快な授業になりました。
  なお、子供たちはこの"出前授業の感想をまとめた文集"と"ぼくたち、
わたし達は将来こんな町に住みたい"という願いを一人一人が《絵》に描いてくれて、
わたし達を感激させてくれました。
 新澤先生は子ども達の絵をパソコン処理して絵葉書を作り、児童に送りました。


                      ■綺麗な自然を…児童の作品から■
        

■説明に感じた迫力…近藤 奈津子さん■

  カラスの会の人たちの話はすごくおもしろかったです。
なぜ「虹山団地」と言うのも分かったし、虹山団地やサンリブなどの昔の所も見られたし。
それだけじゃあなく、話し方もすごく迫力があって、その場を想像することができました。
 昔の汽車やバスを見た時は、すごくおどろきました。マンガて゛見たことはあったけど、
あんなに小さいなんて思ってもいませんでした。今ではとても速いし、大きいからびっくりです。
今は便利だなとつくづく思います。
 また舟に乗ってアユを食べる旅行はお金持ちのやること、と聞いた時は本当に
信じられませんでした。
 「旅行」というのは、宿に泊まりのんびりすることで、アユも家での食事に出るものだと
ずっと思っていたからです。
 私もカラスの会の人達にを見習って、「ゴミをひろう」など、自分で思うことをちゃんとやりたいです。

■可部の歴史を体感…門田 顕司くん■

  話を聞いていると、可部ってすごい歴史があるんだなあと思った。
小さかったバスや電車も姿は変わったけど、
 今も使われているのですごいなと思った。鉄も作っていてすごくにぎやかだったんだと分かるけど、
 原子ばくだんでここにも被害が出たと知ってびっくりした。
 今、「カラスの会」の人は、可部を住みよい、よりよい町にしようと努力しているそうです。
ぼくは「きれいで自然がいっぱい」の町がいいです。そのために、ゴミをひろうなど
身近なところからできることをやっていきたいです。
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