中国道

 道庁は中国山地のどまんなか,備北市となった。
もとは広島県,三次市とか安芸高田市等の広島県北部の市町が合併した市である。
中国地域は全国で一番市町村合併が先行し,
第二次の平成大合併により,広島は4市となり,
島根も3市となったため,先行合併し,『広島根県』となっていた。
鳥取は2市,山口は西部が九州道を選択し,東部は広島市に合併したため2市,
岡山は3市となり,以上の
14市で中国道を形成することとなった。

 何故,備北市に道庁を設置したのか,それは地方分権発祥の地であったためである。
安芸高田市は,住民自治のまちづくりで全国のモデルとなり,
三次市は県からの権限委譲のトップランナーとして,地方分権を進めた。
備北市となっても,この理念は引き継がれ,
自主自立の精神が素晴らしい社会作りにつながっている。
中国道は,こうした道民による道民のための道州制を目指し,
その最先端を行く備北市を拠点に選んだのである。

 以前合併前の三次市長が,中国地方の中心だからと州都誘致宣言をしていたが,
誰も取り合わなかった。その夢が実現したのである。

 市民主体の道州制については,さまざまなシステムが取り入れられているが,
紙面の都合上割愛させていただき,平和の国づくりについて少し触れておきたい。

 世界平和を目指す団体や組織を,積極的に誘致し,市民レベルの国際平和会議を設置した。
いまや国連への影響を持つほどに成長し,さまざまな平和活動の拠点ともなっている。