だきわ(抱岩)地蔵

 

山の中の道路

自動的に生成された説明

 

 

屋外, 岩, 草, 建物 が含まれている画像

自動的に生成された説明

森の中を歩いている

中程度の精度で自動的に生成された説明



















 【下野岩太先生著 可部のまちかど28 】

 54号線「可部中央」バス停から西へ延びている道路をおよそ3km進むと、左側眼下に太田川の渕が目に入る。
ここらあたりは、右側にそそり立つ茶臼山のふもとの岩を削って開いたもので、一見して難工事であったことを想像させる。

 所々に突出した岩盤が今に残っている。標題の地蔵は、前方に見える旧「亀山発電所跡」の手前、およそ200mの右側、がけの下にある。
道路から8mばかりの高い場所、岩盤が屋根となってかぶさり、地蔵の前も急傾斜のすべりやすい岩であるため、近付いてお参りすることはむずかしい。
もちろん、お花やさい銭を供えることもできならところが不思議に地蔵独得の前掛けをかけておられる。
色はまっ白、誰がどうしてこの所に上ったのであろうか。
はしごを上手の太田川漁業協同組合から借りて(筆者)きて近づいて拝む。彫りが浅く、慈顔ではあるが、場所が場所だけに、心なしか孤独を思わせる。
像高32p、肩幅12pの石佛。像の両側に「寛保三年、亥十月」とあり今から二百四十二年前の作とわかる。

(令和5年2023年で計算すると2023-1718=305年前)

 コンクリートの台座の上に安置され、台座の文字は漢文、風化してやや読み難いが、要約すると次のようになる。

 この道は寛保三年(一七四三一初めて三尺の道幅で造る。大下七年(一九一七)に二間幅に改修した、とある。
さらに続いて 「昭和三年三月。寄付者宮崎昇・世話人藤岡繁二・沖広高二・中原次郎平」の名がようやく弥める。
昭和三年三月、ここへ近くの他の場所から移したのであろう。
標題の抱岩は、巨大な当石に抱かれた形であるところから、だきいわ-だきわと変化したのであろう。
いずれにしても険しい川端の道の歴史を語る地蔵と言うことができる。

 

リバーサイド トップへ