亀山発電所跡

 

【下野岩太先生著 可部のまちかど16

 明治の木頃までのこの地方のあかり生活’は、ランプ・あんどん・たいまつ・おがらたき・棉油をもやす暗いものであった。
そこへ電灯が登場した。いわゆる。あかり革命’である。
一般家庭では五燭光と十燭光の二種類、それでも電灯をともす家は、手元のよい方であった。

 (1燭光は現在の十に程度夜間のみ点灯)
可部地方の電灯の最初はつまびらかでない、……が電力供給の総本である亀山発電所が、
太田川のほとり(大字今井田)に完成し。送電を始めたのが明治四十五年(191278日であるから、一応この時とみてよい。

 亀山発電所の運転開始によって旧来の灯火は急速に電灯化されていった。
亀山発電所の2400キロワットは従来の電灯のみならず、動力源としても供給されるに至った。
地方産業の機械化、工業化をうながし。年と共に需用は増加し、経済界の覚醒を助長す

る役目を果たした。

 以来この発電所は風雪に耐えて電力供給の任務をつづけた。

しかし昭和四十七年の太田川洪水は、無惨にも浸水を余儀なくし。
これを契機に翌四十八年三月、波乱に満ちた六十五年の歴史を閉じた。

 幸いのことに、かっての活躍時代の威容は、今も静かに太田川の清流にその影を映している。

 河畔に立つ赤い煉瓦造りの洋風の建物は。太田川の歴史、地方文化にあかりを灯した生きた証言者でである、と同時に。
可部町内最古の洋風煉瓦造りであり、文化的遺産として類のない貴重なものといわねばならない。

 かってこの発電所建設のあと、太田川最初の鉄橋(大正十二年完成)が完成すると、
この近郊の小学校教育の課外授業の場として取り入れ、遠足、写生などの場所としてセットされたものである。

 

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