柳瀬八幡宮

建物の前に立っている家

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【下野岩太先生著 可部のまちかど41

神と仏が仲良く同居 柳瀬八幡宮

 柳瀬八幡宮は可部線可部駅からやや西方、太田川沿いにおよそ3kmの所柳瀬にある。
柳瀬は小さな集落ではあるが、江戸時代は今井田柳瀬村として、ちゃんとした一村を立てていた所。 
太田川の清流に沿い白砂青松のキャンプ場として知られる。 
八幡宮はこのキャンプ場のすぐ上手、上流に向かって県道の右側、太田川を眼下に鎮座まします。

 方2m余りの小堂であるが、四年ほど前に地域の氏子の方たちによって移転、造営され、
地域の産土神(うぶすながみ)の貫ろくを示している。

 ところが、この八幡宮に祭られている御神体が面白い。

 正面向かって左が仏さま、同右が神さま「幣」 (へい)である。
拝殿に掲げてある由来書によると誉田別命、息長足姫命と宗像三女神とある。

 仏さまは木彫立像、高さ35p余、右手はひじの所から脱落、左手は手のひらを外にして自然に垂れている如来像の一般型。
釈迦如来か阿弥陀如来のいずれかであろう。

 つまりここでは、神さまと仏さまが一つ屋根の下、しめ縄の奥に仲良く同居しておられるのである。

 かつてわが国では本地垂迹(ほんじすいじゃく)と称し、絶対的な仏佗が、衆生済度の方

便のために、その迹を諸所に垂れ、神形をとってあらわれる、とする神仏習合の時代が長く続いた。
むかしは神仏一所に祭っていたのである。

 明治新政府によって、神仏分離の布達が出され、神仏は別々に祭るよう区別されて現在に至っている。
したがってその歴史的過程を知れば、別に異とすることではないが、
現代においては、一般的でないところに興味深いものがある。

 この仏さまは遠い昔、柳瀬の沖合、太田川の渕のほとりに、洪水のため流れ来り、とどまっていたのを、
柳瀬の某家の先祖が持ち帰り、一堂を建立安置した、との伝承かおる。およそ170年ほど前の古文書によると
「茶臼山城に拠った古賀源六なる者の家臣某が、柳瀬村を支配し、のち九右衛門と申す者の時この地へ勧請した」と記したものがある。

 いずれにせよ、太田川の水と信仰、地域の守り神の一典型として珍しい存在である。

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