善太郎さんが泊まった 可部の家(宿)を探しています

天保のころ、石見の国の善太郎さんが可部の町に泊まったという記録があります。
その家を探しています。情報、お寄せください。

 






















善太郎さんとは  有福温泉の名物 

善太郎餅の善太郎さんです。














 

 

善太郎さんは、大変熱心な真宗の信者で、京都の本願寺に9回お参りされたそうです。
有福から大朝、可部、広島までは徒歩、広島から大阪までは舟、大阪から京都までは再び徒歩の旅程で、
命がけのお参りだったそうです。

 

京都からの帰り、可部の知り合いのところへ泊まった時の逸話が『草餅説法』で、
善太郎餅の由来となっています。(ページ下部に掲載)

 

島根の方から、可部のどこに泊まったのですかと質問をいただきました。
ちょうど天保のころの町並み図をご紹介させていただいておりますので、
併せて善太郎さんがお泊りになった家(宿)の情報を募集させていただきます。

 

◎善太郎さんが門徒であった江津市の浄光寺様にお尋ねしたところ、
説法に多く出てくる『金物問屋のよろずや』ではないかとのお話を頂きました。

 

令和5年10月

                 まちづくり市民グループ可部カラスの会


可部カラスの活動トップへ

管理者トップへ

 

 

 

草餅説法【島根県江津市 浄光寺様HPから転載させていただきました】

 

  京都の本山参りの帰路、善太郎さんは可部(広島県)の以前より親しくしていた同行の家に泊めてもらった。
その夜は、家内中が善太郎さんの話す法縁に耳を傾けながら夜をふかした。
そして翌朝、善太郎さんが有福に向けて出発したあと、浴衣が一枚紛失していることに家人が気づいた。
   
「あの浴衣は善太郎さんが持って帰られました」
とその家の女中は主人に言った。
 
驚いた主人は家中を探したが結局浴衣は出てはこなかった。とうとう家人みんながその女中の言葉を信じてしまった。

 

  その後、主人が有福温泉に湯治に来た際、善太郎さんを訪ね浴衣のことを問いただした。
善太郎さんは初めのうちはポカンとしていたが、じきにあやまり、「これで弁償いたしますから、どうか許してください」
と、仏壇の引き出しから金を出した。

 

  これで可部の主人はいよいよ善太郎さんが盗人であったと確信し、太郎さんをさんざん罵って帰ろうとした。
すると善太郎さんは主人に  「今はなにもございませんが、せめて家の方々にこの草餅でもあげてください」
と、仏壇に供えてあった草餅を紙に包んで主人にわたした。

 

  可部に帰った主人は、この出来事を家人みんなに話しながら、ひとつずつ餅を配った。
ところが女中が一人だけ俯いて餅を食べようとしない。主人がどうしたのかと聞くと彼女は突然泣き出し、ふるえながらこう言った。
 
「自分のような罪深い者がお供え物の餅を手にしたらどんなに恐ろしい報いを受けるかしれません。
実はあの浴衣はこの私が盗んで善太郎さんに罪を被せたのです」
 
これを聞いた家人は驚き、ことに主人は大変後悔した。


 
主人は翌年も有福に湯治に来た際、善太郎さんにあやまりお金を返した。
その時の恐縮する主人を見つめる善太郎さんのまなざしは、やはり柔和なものであった。

 

テキスト, 線画 が含まれている画像

自動的に生成された説明