■寺山公園10年間ワークショップ■


  可部町上原にある寺山には、県立可部高校の移転・整備にあわせ、安佐北区内に唯一の
総合公園が整備される予定です。
 この公園の整備内容に、身近に住んでいる私達の意見をできるだけ反映させたい。
そのためには まず寺山のことをよく知らなければ!
 そこで、その第一弾として、平成11年8月11日(水)、カラスの定例会で、
寺山の歴史を学ぶ勉強会を行いました。

 
                      

  黒板には手づくりの横断幕が掲げられ、また、テーブルの中央には寺山の模型も登場し、
勉強会の雰囲気は満点です。
 講師には、地域の歴史にお詳しいカラスのメンバーでもある井手本さんにお願いしました。
 「ごうしょういん迎接院まんだらじ曼荼羅寺、これが寺山の正式名称です。
 失礼だが、あなたたちは寺山へ上がって歩いてみたことがありますか。」開口一番、
井手本先生からの先制パンチに、 約20人の生徒諸君は一瞬シューン。
因みに「迎接」とは臨終の際に仏が浄土に迎え入れてくれることであり、 「曼荼羅」とは
仏や菩薩を配置した絵図のことだそうです。
  平家物語で名を馳せた熊谷家の始祖であるなおざね直実がいちのたに一谷の戦いの後、
 ほうねん法然しょうにん上人の仏弟子となり、上人直筆の曼荼羅を深く信心し、
子孫に相伝させた。
 この曼荼羅を本尊として、迎接院曼荼羅寺が建立された・・・・。
  先生の話はいよいよ佳境に入り、可部郷土史研究会の下野さん執筆「可部の町かど」や
「可部町史」、さらに「平家物語」を引用しての説明に、居並ぶ生徒たちも身を乗り出して
度々うなずくほどでした。
 寺山には12の坊(寺)があったこと、それらの名がこあざ小字となって残されていることなどなど・・・・。


                       

  約1時間の講義を終えて、生徒の皆さん思わず大きな嘆声。「寺山は全国的な歴史性を
持っとるいうことか。
 話を聞いてみると粗末に扱えんのオ。」、「身の引き締まる気持ちじゃね。
12坊がどこにあったか調べてみたいねエ。」
 などの感想が聞かれました。地域の人たちにアピールできるように、もっともっと
勉強しなければなぁと感じたことでした。
  私達の寺山に関する活動は緒に就いたばかりです。来年度は、区役所と一緒に幅広く
区民の皆さんの意見を集めたいと思っています。
 公園ができるのはまだまだずっと先のことですが、これからもいろいろな取り組みを
続けていきたいと思います。


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