明治381905)年25日に国産のバスが全国で始めて横川から可部へ向けて走った日です。その状況を可部町史には「芸備日日新聞」の記事として次のように紹介されています。(要約して紹介すると)

 横川・可部間自動車交通事業は、5日に山陽線横川駅前の自動車停留場において開業式を挙行した。翌6日には同様の開業式を可部においても挙行し、盛況であった。しかし、午後745分に可部をスタートしたバスは八木峠付近で無灯火の乗合馬車にぶつかって事故を起した。自分たちのメシの種を奪われるという危機感から“故意におこさせた事故”との見方もあるようであるが、真偽の程は不明である。

 バスはここから苦難の道程を辿ることになります。絶えず起こる妨害、修理の部品もその都度の発注で思うに任せず、タイヤにわら縄を巻きつけて走ったとか…。そしてとうとう頼みの資金も枯渇して継続を断念したのは、9ヶ月後のことでした。
 馬車からバスへの移行はスムースには行きませんでした。明治44年には“軽便鉄道”が可部・横川間を走り始めましたが、バスやトラックによる新しい人や物資の輸送は大正時代になってから一挙に突入することになりました。


続いて可部と横川で予定されている記念行事の紹介に移りましょう。

横川は1100から駅前広場で開会行事を行い、旧型〒ポストの除幕式のあと殻付き牡蠣、かよこ味噌煮込みウドンを振舞います。なんで「かよこの味噌煮込み」なのかと申しますと、可部の“か”と横川の“よこ”を合わせて“かよこ”さんが可部の武吉さんのお嫁さんになる年代が三十路 (みそじ)なので味噌煮にしたんだそうです。なかなか手の込んだ発想のウドンですから、どうぞ試食を。
 また、「横川サスペンス」という名の本物の映画もつくるそうです。“お母さんが恋人に誘拐された”というのがストーリ−の始まり、あとは見てのお楽しみ。もちろんロケ地は横川がふんだんに予定されているようです。

 

可部はというと、主催は可部カラスの会・可部夢街道まちづくりの会・可部公民館の3者共催によるイベントです。
 100年前の可部でのバス開業式は2月6日なので、この日にあわせて『日本最初の乗合バス百年記念日−かべ』小学生のつどいを可部公民館で1330から行います。小学生を主対象に「百年前に横川と可部の間を走ったバスがどのようにして作られたのか、どんな苦労があったのか」をビデオを使って説明する予定です。また昨年春に復元したバスがどのようにして造られたのかもビデオで紹介します。

 

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