可部の歴史フォーラム−高松山の謎に迫る−
■大成功■
■5月26日、大文字祭りに合わせ、可部学区集会所で可部の歴史フォーラム
&写真で見る可部の歴史を開催しました。■
昨年、可部カラスの会に歴史部会が発足しました。女性を中心とした歴史が大好きな皆さんです。
その歴史部会が、大変な発見をしてくれました。その大発見を、大文字祭りにあわせ、
フォーラムとして皆さんに発表させていただくこととしました。
フォーラムは、『京都と可部の謎』、『高松山の謎』の2部構成、午前午後の2回講演。
フォーラムということで、少し堅苦しいので、皆さん来ていただけるかどうか少し不安でしたが
前日に中国新聞さんが、大きく取り上げていただいたこともあり、
開始時刻には満員のお客様にお集まりいただきました。
■『京都と可部の謎』■
さて、いよいよフォーラムの開始、トップバッターは友近さん。
最初はちょっと緊張気味でしたが、話が確信に近づくと、いつのまにかの熱演となりました。
なにせ、この発見のきっかけは、友近さんが小学生時代に書き写した、
一冊のノートからだったのです。
手作りの高松山の模型も大活躍
京都と可部が似ている。大文字祭りは京都と可部にしかないんでぇ。
と、可部の人は聞かされてきました。ところが、約50年前友近さんは、
もっと具体的に可部と京都との相似点を表した書物にめぐりあい。
それをご自分のノートに書き写していたのでした。
これがきっかけで、歴史部会は京都と可部の相似点の研究に取り組みました。
その当時の書物探しとともに、何せ行動派の可部カラス、京都の地図と可部の地図をとりよせ
縮尺を調整し、比較しやすい図面を作って作業を進めました。
すると、出るわ出るわ。なんと15点にも及ぶ、
山や川、神社仏閣等々の相似点がみつかったのです。
50年ぶりに、京都と可部の相似点が、それも50年前には無かった
ビジュアルな形で発表することが出来ました。
■『高松山の謎』■
つづいては、梶川さん。歴史部会が取り組んだ高松山の登山ルート発見についてのお話です。
書籍によると、高松山には4本の登山道があったが、現在は2本となっているということで、
この死道となった2本を、なんと歴史部会が発見、登山道として再登場させたのです。
一本が桐原からのルート、このルートはとても眺めの素晴らしいルートだそうです。
もう一本が、土居屋敷(南原川合流点の少し上流の熊谷氏居宅)からまっすぐ
山頂の高松山を目指すルートです。
高松山のお城としての歴史研究と、登山のベテラン梶川さんの山に対する熱意が結びつき
今回の発見となりました。
梶川さんのユーモアたっぷりの説明に、手作りフォーラムの、いい味が出ていたと思います。
最後に、田中さんが、2つの発表を踏まえ、可部の歴史についてまとめを行い。
フォーラムはお開きとなりました。
■高松山歴史ガイドブック完売御礼■
今回のフォーラムの内容をとりまとめた手作りのガイドブック100冊も、完売
近々、増刷作業に入りたいと思います。
こうして、歴史部会の初の発表の場となった可部の歴史フォーラムも
大盛況で終了しました。
まだ発表は出来ませんが、歴史部会はもっと凄い研究に取り組んでいます。
来年のフォーラムにご期待ください。
■大文字を見ながら打ち上げ■
やっぱりカラスには打ち上げがかかせません。大文字の見える公園に陣取り、
早速の打ち上げ、夜が更けるまで、ワイワイガヤガヤ、ご近所の皆さんすみませんでした。